根津美術館コレクション展・中世人の花会と茶会

6月17日(日) 高校からの友人と、こないだの戸栗の柿右衛門展に一緒には行けなかったので、
かわりといっちゃなんですが、戸栗にあったチラシにあった、こっちの展覧会に行きました。
地元友人かつ美術部OG仲間なので、こと陶磁器関係だといちばん彼女といくのが話しが合います。
 
根津美術館 コレクション展
中世人の花会と茶会
2012年6月2日(土)~7月16日(月・祝)
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花会や茶の湯の会は、中世の人々の社交の場でもありました。
13・14世紀頃に中国、朝鮮半島、東南アジア諸国などから運ばれてきた道具類は、まず寺院などに入り堂内の荘厳や喫茶に用いられるようになります。やがて寺院から、武家や公家のもとに流出して花会や連歌会、喫茶などに使用され、大切に保存されてきました。人々は、優れた道具を集め、収集品を見せ合って楽しむ場として、花会や茶会を開いたと思われます。
この展覧会に、中世の最後の大茶人といえる千利休の意によってつくられたと言う、長次郎作の「赤楽茶碗 銘無一物」を兵庫・頴川美術館から特別にご出品頂くことになりました。茶の湯の世界にあたらしい時代を開いた赤楽茶碗の代表作をお楽しみください。

〔主な展示作品〕.
・赤楽茶碗 銘 無一物 長次郎作 【特別出品】
日本・桃山時代 16世紀  兵庫・頴川美術館蔵
赤楽茶碗「無一物」は、黒楽茶碗「大黒」とともに、陶工・長次郎が千利休の意を受けて作り上げた茶碗の代表作。端正な半筒形で赤い土は、手に柔らかさを感じさせる、最高の茶碗といわれている。
・砂張釣舟花生 銘 艜
東南アジア 15~16世紀 根津美術館
釣舟花生は姿が珍しかったためか、早くから立花の器として、陽気をくさりで釣り、釣舟に仕立てて使われた。本作品は15、16世紀頃に東南アジアからもたらされたと考えられるが、産地は不明である。.
・漁村夕照図 牧谿筆 6月2日~6月24日のみ展示
中国・南宋時代 13世紀 根津美術館
もとは8図を備えた「瀟湘八景図巻」であるが、室町将軍足利義満が座敷飾りのために切断したと考えられている。水墨の技法を最大限に生かした光や大気の表現がみどころである。
曜変天目茶碗 建窯系
中国・南宋時代 13世紀 根津美術館
厚く掛かった漆黒の釉には内外とともに斑紋が大きく表れ、青貝のような輝きを見せる。天目は中国福建省の窯で焼かれ、我が国には鎌倉時代頃にもたらされた。
(以上根津美術館HPより)
 
茶器なだけに、そもそも日本の茶道っていつからなんだろう(確立は千利休としても、もっと雑な状態?ではあったんだろうが、そのときのんでたのはお抹茶なのか?とか)、お茶碗の下の漆の台はなんだとか、なんで時代が新しい高麗もののほうがもっと前の宋代のより悉く劣化激しく見えるのかとか、書がどれもあんまりうまくなくみえるとか、天目はかっこいいのに楽茶碗に感動できない私の感性はいまいちなのだろうかとかいろいろ気になりつつ面白かったです。いつも行きそびれてたNEZU CAFEもいけたし(美術館もふくめて、新しくなってからいままでいったなかで一番空いてた)。お庭は新緑がまぶしくて、雨の後だったのもあって苔がすごくあおあおときれいだった。もうすぐ虫がでそうだから、楽しむなら今頃までかもですが。(でもスズメバチ注意と書いてあった・・・)
上階の常設展示の、いつもの殷の青銅器たちで、器の呼び名の違いがよくわからず、いつになく気になりました。いつもはここまでゆっくり見てないから流していたのか・・・
 
根津までいったので白山陶器shopに寄ったんですけど、陶器市で悩んで買わなかったバターケースはやっぱり買っとくべきだったかなあと後悔、してたら、友人はバターケースがずっと懸案だったんで、これだ!とばかり買ってました。白山陶器は安いしデザイン的にはすっきりしててあわせやすいしで、かなりお得感がありますね。
 
茶道の歴史について悩みつつも分かれ帰途についた私たちでしたが、帰宅してだらだらしてたら友人からメール。「いま大河でお茶してる!」ということは平安時代にはすでに茶はたてていたのか。抹茶だったのかは中は見れなかったのですが、例のナゾの漆の台、しっかりお茶碗の下においてあった。私はメール見てからチャンネル変えたのであまり見てないのですが、舞台が太宰府太宰府ちょー栄えてる、宋伝来の茶器は博多からはいってきてるっぽいよ!と友人は言ってました。(そういや美術館の説明でもそういう経緯なのか博多とどっかから遺物?がいっぱい出るって書いてあった)マツケンが天目がどうとかいってたけど、時代考えるとその頃確かに既に来てるんですね、今日展示されてたような茶碗・・・しかし、ああいうものの命の長さを考えると、私たちって儚いもんだわねえ、なんて話してた今日でした。